31歳の私が終活をはじめた理由

Mohiと申します。
お読みくださってありがとうございます。短い文章ですのでお付き合い頂けたら幸いです。

突然ですが、私は「終活」をしています。
そう、電車の車内広告でもよく見かける「お墓選び」とか「相続」とか「エンディングノート」とかが関係する終活です。人生を終える用意をしています。

ちなみに私は死ぬつもりも、予定もありません。平均寿命から考えたら、しばらくは生きるのでしょう。そんな私がなぜご高齢の方々に混じって真面目に終活に取り組むのか述べたいと思います。

(よろしければ私のTwitterアカウントなどフォロー頂けたら嬉しいです。リプライ歓迎です。)

終活とは

これからの人生をよりよく生きるために、人生の最期を見つめながら、亡くなったあとに備えることです。お葬式やお墓、遺言や相続など、「人生の最期にむけた準備」の意味合いを強く感じると思いますが、 最近では「人生のエンディングを通じて、自分らしく、今をよりよく生きるための活動」と、その言葉の意味も変わってきているようです。

私が実際に何をしているのか

エンディングノートを書いています。「自分のため」「残された人達のため」に自分についての情報や気持ちをまとめるノートです。書籍やネット上でPDFの形で入手できるものなど様々です。自分の資産状況や自分が使っているサービスのアカウント情報など、死後に遺族が必要とするであろう情報を記入しておきます。死後連絡をとってほしい人の連絡先の情報も書きます。自分の人生の全体像がぼんやり見えるような気持ちになります。

葬儀プランを作っています。実際に葬儀会社の見積もりサービスを使用しながら比較を行っています。お金かかるなーって感じです。オプションが多い。「どんなお葬式にしたいか、それはどんな人生にしたいかと同じだ」と考えるようになりました。葬儀については知識を持っておくとよいと思います。家族との事前のコミュニケーションが必要な部分でもあるでしょう。

やりたいことリストを作っています。エンディングノートを書いたり葬儀のことを考えると、自分の人生でやりたいことが沸々と湧き上がってくるんですよね。自分の望みに気づくチャンスだと思います。ただ年齢がどれだけ若くても、やれることの優先順位はあるかと思います。人生で何が大事なのかを考えることにも繋がるかと。(自分の場合、優先順位が高いのは他の人の幸せに関わることだけでした)

なぜ終活を始めたのか

友人や親族が亡くなったことがきっかけでした。もっと気持ちを伝えたかったです。あの人はどんなことを考えていたのかなって思いを馳せました。遺族としての色々な手続きに忙殺される母の姿も印象的でした。

自分の命を保証するものなんて何もありません。「これまでずっと生きてきたから、なんとなく明日も来週も来年も生きていそうな気がする」だけです。この宇宙には命を保証する仕組みなんて備わっていません。

自分が人生を最大限謳歌するため、そして残された人達のために最大限準備をするべきだと思いました。「転んだときの準備をするから思いっきり走れる」んです。

終わりに(社会のビョーキの話)

なんというか、もっと「よく生きる」ことができると思うんです。命というものを重く捉える。自分も他人も尊重することができると思います。ニュースにならないだけで多くの人が事故や病気などで命を落としています。自殺だって多い社会です。病んでいます。

企業が提供するサービス、政府の政策、人を小馬鹿にしたような発言、「命を馬鹿にするな」と思います。

社会情勢も、広告による誘惑も、社会の風潮や価値観の変化も、激動すぎます。本当に大事なものやすべきことを見失いたくないんです。

私は「終活」を通じて人生に向き合い、人生を充実させていきたいと思います。お互いを、お互いの命をもっと尊重できる社会に近づけばと願って発信していきます。

Mohi